2017/10/28 (Sat)
合同学習会に
出席しました。
合同学習会のテーマは
「つくし学園が40年間大切にしてきたことを守り、子供たちのために未来に向けて」
1975年に開園し
今年42年目を迎えた
つくし学園。
「就学前の知的に障害を持つ乳幼児を対象に、早期から保育を施し心身の発達と障害の軽減を促すことを目的とした施設」(上尾市HPより)です。
公設公営の
施設です。
合同学習会には
つくし学園にお子さんが通園している
現役のママやOBの方
元つくし学園の保育士の方や
特別支援学校の先生
福祉事業所の職員の方々が集い
つくし学園の現状や
これまでの歴史を振り返りました。
私以外に
わが党の新藤議員
政策フォーラムの鈴木議員が
出席していました。
印象に残っているのは
なんといっても
現役ママとOBの方の思い。
「娘は手がかかり、家ではどうしようもなかった。ひっくり返り泣き叫ぶ子で、散歩も引きずって歩いていた。とても人前に出せる子ではなかった。ところが、つくし学園に入り、無条件に先生は娘をかわいいと言ってくださり、私も先生に話をたくさん聞いてもらって救われた。つくし学園に行かなかったら、小学校に行けなかったと思う」
「3年前につくし学園に入った。最初は(つくし学園が定員オーバーのため)つくし学園に週に3回しか通園できなかった。つくしに行けない日は、子供が他の子どもを怖がるので、人のいない公園を選んで遊んだ。児童館にも行きづらかった。今は年長になり週5日通えている。週5日通えない方はつらいだろうと思う」
「私の息子は20年前につくしにお世話になった。息子は1歳前につくしに入れた。その時はひとクラス6~7人で先生が3人だったから、狭くは感じなかった。今は、ひとクラス10人、トイレ渋滞もあるということで、大変な状況だと思う」
「現在つくしに通っている。ひとクラス11人になった時もある。その時はロッカーが10個しかないため、本棚かなにかをロッカー代わりに使っていた。年少の時、つくし学園が定員いっぱいで週3日しか通えなかった。それでも入れてもらえただけありがたいと思い、ぜいたくは言えなかった。私のときは分室がなかったけれど、いまは分室があるので、それは羨ましい」
「少しでも早く療育を、と思っていたから、入れるだけでありがたかった。週2回だけでもつくしに通えてありがたいと思った」
また
福祉事業所の職員の方も
次のように
おっしゃっていました。
「20年前から早期療育・教育が大事といわれてきているが、それがまだまだ保障されていない。小さい時から適切な療育・教育が大切。場所がある、というだけではなく、保育の中身が大事。つくし学園でさまざまな力をつけた子たちは、その後、大人になってから違っている。いろいろなものを食べることができ、服の着脱ができ、体のバランスがいい。つくし時代があるから今がある、という親御さんが多い」
それからまた
次の元つくし学園の
職員の方のお話には
あらためて
つくし学園のすばらしさを
再認識しました。
「1969年に心身障害児の保護者30人により上尾市議会に『心身障害児のための通園施設を作ってください』という請願書が提出された。翌年の3月議会で請願が採択された。大谷農協を市が借りて改造し、親の会の運営により『さくら園』が開園。1975年5月からつくし学園が開園。重複障害児は措置外だったが、受け入れてほしいという保護者の希望があり、受け入れてきた。とにかく、希望があったら断らない。これは、つくしが大切にしてきたこと。これからも大切にしてほしい」
「障害児は就学猶予となっていた障害児たちは地元の小中学校に通うことができなかった。つくし学園ができた時、就学前の子どもたちだけではなく、18歳までの子どもたちが通園していた。1979年4月から完全就学となり、学齢児は養護学校へ移行した」
「毎日、つくし学園に通うことで、成長が見られる。全面発達できる。PTやSTなどたくさんの先生の助けを借りてきた。医療ケアが必要な子どもが多い中、ようやく10年ほど前から看護師が常勤となった。それまでは非常勤で週1~2日しかいなかった」
「現在、職員は正規と非正規が半分半分で連携が難しいと思う。そんな中で職員は、本当にがんばっている」
あらためて
つくし学園は
上尾市の宝だと
感じました。
もっともっと
お話しを伺いたかったです。
まだまだ
知らないことが
たくさんあり
知らなければならないことが
たくさんあると
思いました。
なによりも
第二つくし学園の整備が
急務だということが
学習会を通じて
ハッキリしました。
今後も
あらゆる可能性を見据え
第二つくし学園の整備を
みなさんと一緒に
市に求めていきます‼