2009/04/04 (Sat)
病気が治るまでは
毎回のことながら
心配。
兄のかえちゃんと
同じ公立保育所に
入所できたものの
今は
ならし保育中の
ほたちゃん。
先生が
お昼ごはんを
食べさせようとしても
ミルクを飲ませようとしても
ぜんぜん
受けつけずに
泣くばかり。
ギブアップした
先生から
金曜日のam11時ころ
ケータイに
連絡が。
「お母さん、早めに迎えに来てください」
しかし
会議中。
「わかりました、もうすぐ行きます」
と言いつつ
お迎えに行けたのは
それから
1時間半後。
ならし保育中は
仕事にならない。
私は
なんとか
先輩方の支えで
乗り切っているけれど
きっと
みんな
大変な思いをして
いるのだろうなぁと
思う。
子育てしている
家庭にたいして
手厚い支援・援助のある
職場に
世の中に
国に
早く変えなくては。
今日は
第二団地&平方後援会の
お花見があり
息子&娘を連れて
参加した。
暑くもなく
寒くもなく
まさに
お花見日和。
これから
必ず
総選挙が
おこなわれる。
たたかうためには
たたかわなくても
いい場所が
なくてはならないと
思う。
心の電池を
充電して
たたかいの日に
そなえよう。
夕方は
コミセンの中の
プチ・グローブで
2ヶ月に1度の
うたごえ喫茶。
ここには
義父と一緒に
子どもたちを連れ
参加。
いろんな歌を
みんなで
うたった。
私は
「涙そうそう」と
「翼をください」を
リクエスト。
すてきな
ギター&アコーディオンの
音色にあわせて
大きな声をだすと
モヤモヤしていた気持ちが
晴れてくる。
文化的な生活…
これって
ほんとに
大事。
ただ
息をして
生きている
というのではなく
たくさん
豊かな文化や
芸術にふれて
人間らしく
生きていきたい。
いま
アンジェラ・アキさんの
「手紙~拝啓 十五の君へ~」が
話題だ。
この歌は
思春期の
子どもたちの
気持ちを
まっすぐ
表現している。
私は
自分自身の
思春期のことや
現在の
自分の生き方を
見つめなおして
いろいろ考えるのと
同時に
今の時代を
生きている
子どもたちが
抱えている
苦悩の深さ
将来の見えなさ
生活の不安定さ
について考え
なんで
こんなにも
子どもたちを
悩ませ苦しめることが
いっぱいあるのだろうかと
腹立たしいような
情けないような
なんとも言えない
気持ちになって
泣けてしまう。
「大人は
答えをもっているわけじゃない。
大人も
子どもと同じように
悩むし答えを探している。
このリアルを
表現したかった」
というような
ことを
アンジェラさんは
語っているけれど
ほんとうに
そうだと思う。
いくつになっても
自分の生き方や
すすんでいる道について
これでいいのか
これでよかったのか
考えて
生きるのが
人間なのかも
しれない。
「生きる意味について考え
問い続けることが
生きるという
ことなのでは
ないだろうか」
というようなことを
私の好きな詩人が
なにかの本に
書いていた。
生きることに
ちゃんと
向き合っている
大人で
ありたいなと
思う。